【アジア新聞屋台村】
高野秀行著、集英社、2009
本書は、著者がとある新聞社で過ごした時間を綴ったものである。その新聞社は実に多人種・多言語の人々が同空間に存在する、人種のるつぼなのである。本書では、その新聞社は屋台村と表現されている。
社長は主だった経営戦略を持たず、マーケティングもろくにせず、面白そうだからとりあえず新しいことを始めてみる。売れなかったら、すぐに打ち切り、また新しいことを始める。現在は5か国の言語で発売しているが、過去にはいくつもの新聞が出現しては消えていったという。
その現象を説明する発言を本文31ページより引用する。
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あのね、タカノさん。こう考えてみて。ここは屋台なの。屋台の集まり。よくあるでしょ、レストランで「屋台村」っていうのが。「インドネシアの新聞、ある?」って言われたら、「はい、あります」。「タイの新聞は?」って訊かれたら「はい、どうぞ」。発行が遅れたら、「まだ、料理ができてない」。印刷した新聞の数が足りないときは「もう売り切れました」。だから、ここは屋台村と同じよ。
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これが、屋台村たる所以である。
ここで、著者の肩書きを改めて考えてみる。
早稲田大学探検部OB、ノンフィクション作家、エンタメ・ノンフィクションの生みの親、辺境探検家、、、
モットーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」
なるほど、今回の舞台である新聞社も完全なる「辺境」であり(この場合は地理学的な意味合いではなく、日本という国家に不似合いに現出した空間としての意)、著者以外の日本人は誰もやらないことをやったという意味で、東京においても辺境探検家として、エンタメノンフィクションを完成させている。
本書には、実に様々な人々が舞台に上がっては退場していく。
アジア新聞屋台村の女社長で台湾人・劉さん、なんとなく編集統括になってしまった韓国人・朴さん、武蔵丸似のインドネシア人・バンバン、ほかにも枚挙に暇がないほど多くの人々が著者と関わっては消えていく。
なかでも、朴さんと著者のラブストーリー(のようなもの)には、読みながら思わず力が入ってしまった。
目まぐるしい登場人物たちの物語が、読み進める手を早めていく。
解説でも触れられているが、本書の最大の特徴は、「あくの強い登場人物ひとりひとりを、作者は、彼らの出身国をきちんと背負わせて書いている。彼らの個性は、ひとりひとりの個性でありつつ、その国の個性でもある」ことである。
例えば、ムスリムのインドネシア人バンバンと、中国系インドネシア人アンジェリーナの反目が描かれた部分も、自国の政治や歴史についてきちんと意見を持っているからこその衝突であるようにも見える。
もっとも、著者はこの衝突について、「単に個人的に気が合わないだけかもしれない」と記述しているが。(このあたりは、生身のコミュニケーションを行った著者のみぞ知る部分である)
登場人物を通して、その国の様子や特徴まで的確にとらえてしまうのである。これは、体全体で人とぶつかり合いコミュニケーションを交わす著者ならではの強みであり、本書のみならず著作全般に共通している。
アジア新聞屋台村は、いい加減さを維持しつつも、読み進めていくにつれ、変貌していく。物語の終盤では、アジア新聞屋台村が日本社会の歯車に組み込まれてしまうのがなんとなくホッとする反面、寂しさを抱かずにはいられない。
エンタメ・ノンフィクションの名にふさわしい一冊である。
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