放浪の哲学【鈴木読書】

【旅へ 新・放浪記】
野田知佑著、ポプラ社、2010

時は1960年代。日本社会の閉鎖的な不自由さに辟易した一人の若者が、ヨーロッパの開放的で自由な風に触れる旅を記した一冊。
日本とヨーロッパの対比と、著者が出会った名前も知れぬ人々とのやりとりに読み応えがある。
自分の身の振り方も考えさせられる一冊である。

 

本文の25ページにこんな記述がある。

就職するのは簡単なことだ、結婚して子供をゴロゴロ作り、「安定した家庭生活」を営むのはもっと簡単だ、と思っていた。ただ、その前にやることがある。
何かよく判らないが、この胸中にあるモヤモヤをすっきりさせてからだ。その決着をつける前に会社勤めをして、「人生に食われる」のは何としても厭であった。
僕の周辺に現れる大人たちは大ていぼくの顔を見ると「早く就職してマジメになれ」と説教した。馬鹿メ、と僕は心から彼等を軽視した。マジメに生きたいと思っているから就職しないで頑張っているのではないか。不マジメならいい加減に妥協してとっくにそのあたりの会社に就職している。
第一、マジメになれ、といっているその大人たちを見ると、どうしてもマジメに行きているとは思えなかった。何一つ選択しないで、ただ流されて生きているだけではないか。あんな意思的なもののない人生なんてまっぴらだ、そう思っていた。

この部分に、青年期の著者の思いが表されていると感じる。
この時、大学を卒業して2年が過ぎていた。同年代の人々や周囲の大人たちが著者を気にかけてくるのに対し、反発をしている。肉体的には充実しているが、いい加減なことに時間を費やして「人生に食われる」のをなんとしても回避したいと考えている。本書では、青年期とは滅茶苦茶な、狂乱の時代であるとも語っている。
このエネルギーが、著者を日本に留まらせず、外国に飛び出させたのではないだろうか。

 

そのほかにも、胸に刺さるくだりがあった。

金なんてあとでいくらでも返すことができる。時間は借りられない。借りられるものはどんどん借りればいいのだ。カナダ大使館の初老の男はこう言った。
後日、ぼくはヨーロッパのある国の日本大使館で応対に出た係官が無礼なので殴ってしまった。その時、大切な用件で大使館に行ったのだが、そいつは初めからぼくの身なりを見て侮辱の表情を隠そうともしなかった。
(中略)
日本はぼくにとって最も相容れない「異郷の国」であった。

お金は歳をとってからでも稼げる。若さだけは今しか手に入れることは出来ないのだなと感じる。
それにしても、旅人への対応に、日本人のお役人と海外のお役人の間で天と地ほどの差がある。

野田氏といえば、川下りでの旅のイメージがある。しかし、本書の大半はヒッチハイクや汽車で旅が進む。
本書で川下りを行うのは、182ページから少しだけであり、全体の3分の2ほど終わったあたりからである。
現在の姿とのギャップも、読者としては非常に新鮮である。

 

今と昔で、旅行へのハードルは変化していると思う。無論、ハードルは下がり、行いやすくなっている。今と昔を比較すると、移り変わっているものは多い。
しかし、若者にとって若さだけは今だけのものということは今も昔も変わらないと感じさせてくれる一冊であった。

 

(—で囲った部分は本文からの引用)

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