無人島サバイバル In 加島【2024.8.19-23】

装備共装   
ネット4、ライジャケ7、ブール―シート7、銀マ7、ひも
個装 
お金、保険証、マリンスーツ、フィン、ゴーグル、釣り具、FAK、着替え、スマホ
服装動きやすい服装(半袖、長ズボンor半ズボン)
天気晴れ、曇り
気温25℃~35℃

初めに、長い話になりますが、この先無人島に行く人たちに伝えておきたいこともあるので、ご了承ください。また、一番下のその他の追加情報欄に今回の教訓を残しておきます。これからの活動の参考になれば幸いです。 ※無人島では皆スマホ、時計をしまって、文明とはおさらばしていたので、時間はわからないです。

8月20日

10:00 姫路港発

おりおん号に乗船。船内は至る所に冷房設備があり、無人島上陸前最後の涼を取る。船が港を離れ、島々が見えてきて、これから無人島で最悪死ぬかもしれないサバイバルを行うことを徐々に実感し始める。前日の電車移動ではみんなまだその実感が湧いておらず、旅行気分だった。寛太は船の中でも筋トレを始める。

10:30 加島上陸

荷物を船から降ろし、船を見送る。すぐに拠点になりそうなところがないか探しがてら、島の探索を開始。思っていたよりも島は大きかった。山は険しく、食べられそうな植物も下からは確認できなかったので、山に入り植物を採ることは断念。海の波は穏やかで、シュノーケリングするには良い環境だった。漂流物はいろいろあり、使えそうなものも多かった。先人たちが残していったものも多くあった(これは今回使っていない)。 まず、池を発見するが、濁っていてドブ水のようで使えそうにない。さらに進むと、巨大な岩が待っていた。これ以上進めないかと思っていた。それでも進むのが探検部?岩をよじ登り、進み始めた。そう、今回のメンバーは岩部門の人が多かったのだ。昨年の無人島活動の報告書を入念に読んでいた自分はみんなの飛ばし具合を心配した。このとき、自分と周平は木陰で休んだり、漂流したペットボトルを集めたりと冷静だった。心配が当たらなければいいのだが…

上陸地に戻り、とりあえず近くの背後に山がある、なだらかなところに荷物を移動。 島の反対側を探索する班、火起こし班に分かれ、本格的に活動開始。 島の反対側も岩場で、一応島内の行けそうな場所は探索完了。火起こし班も土台を作り終えていた。島内のものでの火起こしはできなかったらしく、仕方なく火起こしはマッチに頼ることに。

再度集合し、水確保班、魚釣り班、貝採集班に分かれ、次の作業へ

貝採集班は作業を始めてまもなく、先に行ったと思っていた魚釣り班の瑛介がいないことに気づく。寛太が戻って確認してくれることになり、自分と隼大は貝採集を続けた。その後寛太が帰ってくることはなかった…貝採集中、とても暑く、日光を遮るものもなく、岩場だったので、二人はもしやとずっと脳裏をよぎっていた。そんな自分の横で隼大は貝採集の技術を上げていった。みんなのもとへ戻る時には島で拾った虫かごの中は貝でいっぱいだった。ほとんど隼大の手柄です。貝採集はペグで行った。カメノテは大量にいて採るのも簡単だったが、マツバガイはタイミングを外すと貝殻と岩の隙間を埋められてしまうので、タイミングが大事かも。貝はそこかしこにいて、重要な食料になるので、無人島に行くときは事前に重点的に調べていくのがいいだろう。

みんなのもとへ戻ると、寛太もいて、瑛介は別のところで魚釣りをしているらしい。無人島での「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」は大切だ。

一方、水確保班は苦戦を強いられており、なんとか池から水を確保できないかと池に向かったが、水質と運搬の問題から断念し、火起こしに続き、水の確保も断念せざるをえなかった。途中、先人たちが残していったトイレがあった。使えないか見てみたが、残されたものは土に還っておらず、虫もわいていたので、その場を後にした。

シュノーケルはやりたい者からやりだした。海の中にはたくさんの魚がいたようだ…

夕方

魚釣り班の瑛介が帰ってきた。数匹釣れており、最悪全然釣れないことも覚悟していたので、上出来だった。

シュノーケルに行ってないメンバーで木材集めを始めた。山側に落ちていた枝、漂着した丸太。大きなものはノコギリで切った。作業中は中学校の技術の授業を思い出した。懐かしい~

徐々に日が暮れ始め、シュノーケル組も帰ってきた。

拠点づくり

テントなど持ってきていないため、ブルーシート、レジャーシート、ひも、漂流したペットボトルで心海さんが中心となって拠点を作る。意外と様になっていた。作った場所が山のそばだったので、夜中に潮位が上がってもここまで波は来なかった。しかし、昼の海からは考えられないくらい夜は潮位が上がり、波が激しくなる。寝ていて波が来たら、一巻の終わり。浜辺に木の枝が列をなして漂着していたら、夜中にそこまで潮位が上がる可能性が高いので、拠点を作るときはそれを頭に入れて作る場所を考えた方がいいだろう。

火起こし準備組と魚処理組に分かれて夕食の準備へ

火起こし準備組は引き続き木材集めをし、火起こしも始めた。結局火はマッチやライターで起こし、麻のひもを使って延焼させた。魚処理組は獲れた魚の内臓を取って、焼くまでの準備をしてくれた。

夕食の準備ができた頃、雲行きが怪しくなってきた。無人島上陸前の予報では無人島にいる間雨予報もあったので心配になり、早く魚と貝を焼いたり、次の日使う木材も集めたりした。しかし、夜になると星が綺麗に見えるほど晴れていた。

夕食

月は出始めた頃赤く綺麗だった。焼いた魚をみんなで分け合い、貝が主食になった。正直、貝は食中毒になるかもしれないと思い、怖かった。実はこの恐怖から、みんなが食べた後に具合悪くなってないのを確認してから食べ始めました。試すようですみませんでしたwカメノテは見た目からして最初は食べるのを戸惑った。しかし、においはえびかカニのようで、食べてみると、ホタテの味がした。うますぎ!なんでカメノテのおいしさが世に知られてないんだ!これが無限にあった。新潟にもいるそうなので、浜に行く機会があれば採ろう。やっぱり貝は怖いので、具合悪くなってもあとで特定できるようにカメノテだけにしておいた。魚もおいしかった。調味料を各自1種類ずつ持ってきたので、いろいろ使って魚を食べた。海斗さんが捕まえたカニはいつの間にかいなくなっていた…

1日目にしては上出来だろう。

就寝

夕食後、くだらない話をして、寝る準備 寝床は頭辺りと足元にフナムシ。足元のフナムシは大きくてゲジゲジのようだった。ひぇ~~~ 上を見ると、蜘蛛の巣と落ち葉 下はブルーシートを敷いているものの、石とペットボトルでゴツゴツ 隣はギュウギュウ詰め とても寝られる環境ではない。今までの中で最悪の環境。ここがゼロ星なら、快活のマットは星5。当然すぐ寝られるわけなく、寝つくまでしばらく時間がかかった。隼大だけすぐに寝ていた。すごっ!眠りについてからもなぜか2時間おきくらいに起きてしまう。 そして、謎の着信音?目覚まし?がかかりだした。自分の他にも数人が起き、止めようとするが、どこからなっているのかわからないので止められない。頭に残る音でおかしかったのを覚えている。寝ていた人夜に騒いですみません。時間が経って止まった。いったい誰のものから鳴っていたのだろう…ついでに時間を確認してみて朝4時くらいかと思ったら、まだ0時だった…

8月21日

日が出始めた頃に自分が1番に起床。意外と目覚めがよく、疲れもたまっていなかった。寛太と瑛介もあとから起きてきたので、食料を求め、釣りに出かけることに。

釣り場に到着したら、瑛介を中心に釣りを開始。寛太は岩場でも筋トレを始める。 日が昇るにつれて、海斗さん、心海さんと続々と起きてきた。 途中、釣り場にいる人たちは昼寝ならぬ朝寝を繰り返す。拠点は下が石なので、岩の方が寝やすかった。日陰があったのもでかい。瑛介はたえず釣りを続けていた。 何人かには異変が起きていた。立ちくらみが出始めていたのだ。これがあの出来事のサインだったのかもしれない。

後半は隼大も起きてきた。 カメノテを餌にした釣りを開始。すると、面白いように魚がかかり始める。これで釣り初心者でも魚を釣れるように。 結果、一人一匹ずつくらい魚を食べられる量になった。 ここで、3、4時間くらい?釣りをして、量も確保できたので、ブランチにするために拠点に戻る。

昼?

拠点に戻ると、周平はすでに起きていて作業をしていた。

昨夜同様、魚、カメノテを焼く準備をする。 火の準備をしているときに自分に事件が起きた。 立った次の瞬間…気が付くと、地面に倒れ、目は周り、頭が前後に痙攣していた。感覚として、尻もちをついた瞬間、力を振り絞って頭を地面にぶつけないように上体を起こす抵抗をした感じは残っていた。結果として、頭は地面にぶつけてしまったものの、衝撃はわずかに軽減できたと思う。たんこぶもできてなかった。

周りの話によると、やはり急に倒れたらしい。直立したまま地面に倒れたわけではなく、尻から倒れたと言うので、まだ安心した。みんながかけつけたときは目も焦点が合ってなかったらしい。 日陰のある拠点に入り、早急に持ってきた非常食をかきこんだ。ツナ缶、かば焼き缶、フルーツ缶、ミカン缶、アクエリアス。万が一のために、いろいろな種類を持ってきたのが功を奏した。アクエリアスの1/3、ツナ缶1、2缶は次の非常事態に備えて残しておいた。 みんなはその後ブランチを作ってくれたが、次に体に何が起こるか不安だった。また同じことが起こるのではないか。次は本当に死ぬのではないか。実際、頭の半分が動いていないような感覚が残っていた。(動いてなきゃ、意識ないだろw)

魚を食べ終わると、誰が始めたのだろう、みんなで隼大が持ってきた砂糖をなめだした。みんなも甘さを欲していた。砂糖最高!みんなで無人島に調味料を持っていくときには1人は砂糖を持っていくべし。

ブランチ後、すぐに寝た。

夕方

何時間経ったのだろう…生きていた。 みんなは釣りだったり、シュノーケルだったりをしていた。 次何が起きるかわからないので、自分はその日はなるべく動かないようにした。 海の近くに行くと、大きなカニがいたので、何もしないのもどうかと、カニを捕獲。ついでに、近くを散策して、数匹のカニを捕獲。その後はみんなが帰るのを待った。

みんなが帰ってきた。釣り組は大きな成果を挙げる。なんと20~30匹釣りあげてきた。3日間ありがとう瑛介。

無人島での最後の晩餐なので、せっかくならといろいろな調理方法で食べることにした。油を念のため持ってきていたので、揚げ物。あら汁と恒例の焼き物も。前半の素揚げは瑛介が魚をさばいてくれたので、骨がなく食べやすかった。瑛介ご苦労さま。あら汁もおいしくでき、体にしみた。焼き物は魚を大量にゲットしたので、いろいろな調味料を使って食べた。普段合わせない調味料を混ぜたのもおいしかった。カニも素揚げに。 前日同様雲行きが怪しくなったが、やはり夜空は綺麗だった。

その日はみんな拠点ではなく、拠点の外でシートを敷いて寝た。フナムシは相変わらず出るものの、前日よりも気にならなかったし、上からの恐怖や窮屈さから明らかに解放された。

8月22日

ここからは耐久戦だった。みんな極力動くことを避け、体力を温存。 しかし、瑛介は木の棒と石で石打ちを始める。あとから寛太も参戦。瑛介は徐々に打率を挙げていくが、寛太はいっこうに石を捉えられなかった。この二人、ずっと元気よすぎ。

心海さんがこのまま耐久戦ならと、早く帰ることを思いつく。そこで、港に電話してみようとすると、電話がなかなかつながらなかった。何回も電話してやっとつながり、予定の15時から12時に帰ることになった。これ本当に緊急事態のとき、まずかったのでは。

次にトランプ。 最初に神経衰弱。みんな疲れて、記憶力が低下した状態。自分は酷いことにめくる順番を飛ばしカードをめくったときすらあった。昨日の影響がここにも?w

ここで自分はトランプから離れてシュノーケリングへ。実は、無人島初日は体力温存のためにやらず、2日目は安静にしてやらず、危うくやらずに帰るところだった。さすがに他にやる人はいなかった。隼大はこのあたりから海で半身浴。帰る片付けをするまでサングラスをかけ、ずっとやっていた。

そんなこんなで時間が過ぎていき、徐々に片付けも始めた。

11:30 おりおん号加島に到着

思っていたよりも早く船が到着したので、荷物の整理がまだ終わっていなかった。急いで整理し、荷物を船に載せ、乗船。 船が出発し島に別れをつげ次第すぐにおのおの島で封印していた食料を取り出す。みんなおすそ分けして、島で不足した栄養を補充。 りんごかりんとうもみんなでおいしくいただきました。 これは初日松本駅~中津川駅間で会った、長野の友達と登山をして地元に帰ろうと電車に乗ってきた神戸大の院生のM.Gさんにいただいたもので、M.Gさんとはそのまま京都駅まで一緒に行きました。阿部一二三似の男前でしたよ。M.Gさん楽しい一時をありがとうございました。こういう出会いは旅の醍醐味ですね。

12:15 姫路港着

ひとまず初日に泊まった快活へ行くことに

13:30 快活着

荷物を快活の1室へまとめ、風呂に行きたい者は近くの森の湯へ、シャワーでよくて、アイスを食べたい者は快活の個室へLet’s go! 久しぶりに体を洗い流しさっぱり。アイスを食べて、風呂組のもとへ。合流後、そのまま姫路駅へ。

15:00 姫路駅で解散

夕食まで自由行動 ある者は観光へ。あるものは食べ歩きへ。 ある者は牛丼を食べに某牛丼屋へ。新潟に帰ったら、いつでも食べられるのでは?w ある者はクライミングへ。それもここに来てまで?w

19:15 スタミナ焼肉まるまさ集合

肉‼米‼うひょーーー!!!幸せ 次の日も朝早いからかな?安く済ませるため?水で乾杯! 終盤、同じテーブルの1年生コンビが絶倫盛り放題を食べたがる。寛太も乗ってきて、自分は何が来るかわからないからやめとけと止めにかかったが、結局頼むことに…来たのは、ホルモンを中心とした数種類の肉。こちらがストップと言うまで盛り続けられる品だった。ニンニクとねぎ付き。結果、最後まで食べたのは自分だった。おい、お前ら! コースではなく、単品で頼んだので、1人1152円に!安!

21:30 快活着

久しぶりにゴツゴツしてないところで寝られる。新潟に帰るために、次の日4時半に集合ということで、自分は洗濯や準備で起きられないと踏み、徹夜することに。ドラマとドリンクバーとアイスを堪能。

【あとがき】 次の日海斗さん、隼大、瑛介は集合15分前になっても寝ており、自分が起こしましたとさ。おそらくどの日も自分が1番早起き。帰りの電車はだいぶ爆睡でした。神戸線の冷房寒すぎ

【加島、情報まとめ】文責小松

「加島情報」 ・事前入島申請が必須。加島を管理している“真浦区会”に電話をした後、入島申請書を郵送で提出。切手代がかかる。1週間前に電話は済ませておきたい。いい人

・今回の渡島には“坊勢汽船”にお世話になった。ここは家島周辺の島の渡船をしていて、今回姫路港から加島まで1船チャーターして往復約55000円÷人だった。7人だったので結構高かったがとてもいい人たちで帰りの時間をずらしたときや荷物を積んだり、写真を撮るときに親切にしていただいた。(島までは約30分、いかだで家島まで脱出できそうだが仕掛けが多く、つく場所も人のいるところまで遠いのでやらないほうがよさげ)

・島の20mくらいのところに漁師さんの仕掛けが多く設置されているので注意が必要。 40mくらい離れたところの岩まで泳いだがきれいな水なのに底が見えないくらい深かった。チダイやボラ、キュウセンベラ、大量のウニ、青い魚の群れなどが見れて感動した。シュノーケルおすすめ。ただし、エイやハオコゼなど毒針を持つ魚もいるので海魚に関する知識は身に付けるべきである。メイン食材は魚とカメの手だった。潜って取ることは禁止されているため釣りができないと積む。虫はフナムシとアリ、蚊は死ぬほどいるがメイン食材には弱い。植生<海の方の知識が役に立った。漆のようなものがあったのでそこだけ見分けられてほしい。

・島の両端は水深も深く、流れもある。それ以外の場所は三日間とも波もなく泳ぎやすい。今回は小針浜にシュノーケルの事前練習に行っていたことで全員がシュノーケルの要領と自分の実力をわかっていたことで無人島の海もみんなが安全に楽しめたと思う。

・多くのメンバーが蚊とアリにかるく40か所以上かまれ肌が赤くぼこぼこになった。日差しも強く、日焼け止めと長袖長ズボンは本当に効果が高かった。塩分チャージや砂糖といった栄養素がなく水だけ飲んでいると立つたびに立ち眩みと倦怠感が増すため持っていくことを強くお勧めする。

・島内の沼は今までの利用者のうん〇が山盛りなため感染症のリスクが高いと考えられた。 本当にひどい。

・午前中、影となる場所があまりないため釣りの時や採集の際きつい。ゴロゴロとした岩、砂利の浜なのでマリンシューズは必須アイテムである。そのほかにくつや長靴があるとなおいいと思った。8級ぐらいの岩場を渡って3つ目の島に行くため足の踏み方など体の動きを知るためクライミングジムに行っておくと1年生でもけがなく通れると思う。今回は岩部門員が多く初めての活動の子も運動神経がいい男子であったので問題なかったが、みんなこうではないと思う。島一周は途中、危ないところがあり落ちると上がってこれない危険なところがあるため突入するのは絶対にやめる判断をしよう。

・サバイバルはできるが無人島の中の無人島ではない。ただ、行動範囲が広く探検を楽しめる。

・郵便は局留め(指定した郵便局で受け取れるサービス)で新大前から姫路まで何もなければ1日で送れる。段ボールは中身が出ないようにできれば1つ1760円で送れる。中身に多少制限はあるものの荷物を減らせることは大きい。同時に2,3人しか潜らないので、ライジャケは4つあれば十分だった。

・最終日までは待機への連絡も普通にできていたのだが、電波は不安定であると分かった。

・夜は潮が満ちるが浜の漂流物ラインのところまでしか来ない。大潮の日でも問題なかった。

・名刀コメリことコメリののこぎりはとてもいい。7人は多い!食糧難!

成果

全員が生きて帰ることができた。 無人島で生き残るノウハウを学んだ。 限界を知れた。

感想

困難もあったが、すべてまとめて楽しかった! 5日間飯と宿泊を共にしたメンバーはもう友達以上家族未満! まさに探検!

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